明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り


今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

夫の命日

今日は夫の祥月命日。
亡くなってもう17年が過ぎた。
去年、十七回忌を済ませたので
今年は、お寺にお参りだけ。


生きてれば、今年の秋には80歳を迎えたはず。
60歳で大腸がんと診断され
すでに肝臓に転移しており
手術は困難と言われる腫瘍部位だった。


夫は冷静に主治医の先生に
「どのくらい生きられるか?」と聞いたら
「私の経験上で言うと2年でしょうか」と
はっきりとおっしゃった。


抗がん剤の治療なども受けて
割と意外なほどに元気で過ごした。


2年あれば、後の事も色々やっておけると
豪語してたが
そうは問屋が卸さなかった。


夫は62歳で旅立ってしまった。


色々な問題が次から次へと出て来て
眠れない夜が続いた。


私は夫の居ない事の大きさに打ちのめされ、
心身に異常をきたしてしまい、

それでも、何とか頑張って暮らしたのは
子供がいて兄がいて義姉がいて友人たちがいて
サポートしてくれたからだった。

特に友人には、何から何までお世話になった。
何しろ私は腑抜け状態だったから🤣

夫は温泉に行くのが好きだった。
宿に行くと、必ずマッサージを頼んでいた。
その時、必ずマッサージの人に
「お客さん、肝臓の辺りが少し腫れてますね。
何ともないですか?」と
どの人にも何年にも渡って言われていた。

それが前兆だったのだろう。
肝臓への転移・・・

でも夫は「いや、何ともないけどね、
うちは姉や兄が胃がんで亡くなってるから
私もきっと胃がんになるだろうけど
肝臓はなんともないな~」と
軽口をたたいていた。

医者嫌いで、健康診断など一度もしなかった人が
肝臓は大丈夫だなんて❗

確かに胃は弱かったけど。

主治医の先生のお見立て通り
夫は診断されてからちょうど2年経った時に
ホスピスで最期を迎えた。

主治医の先生の話では
病院での治療がもう何も出来ないと判断された時は
ホスピスを紹介するとおっしゃっていて
亡くなる2か月ほど前に、
3月末にホスピスを紹介していただいた。

哀しい事に、空き部屋待ちだった。
どなたが旅立たなければ空かない部屋。

あれほど静寂な病院を今まで訪れた事はなかった。
話し声もせず、看護師さん達の足音もせず
異様に静かな静かな空間。

病院は、満室なのに・・・

夫が亡くなってから
夫が入院していた病院やホスピスのある場所の
側さえに何年も行けなかった。
つらすぎて・・・

今は、もう平気ですよ。
病院の前も普通に通れます。
何なら、その病院で診察受けた事も何度もあります。
心に刻まれる時間が心を浄化して、
全てを思い出にするのでしょう。

*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*

おとうさん、
わたしは、まだまだそちらには行けません。
もう少し、こちらで生きながらえさせてください。
あなたが逝ったとき、わたしも逝きたかった。
それでも、いつか生きる希望が出てきて
わたしは、今もその希望にしがみついてます。
あしたという希望。
だからまだ迎えはいりません。
もうすこしだけ、先にしてください。
いつか必ず会いにいくのですから。

*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*

美しい五月晴れの今日のお寺。
清々しい緑の中、お参りして来ました。






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