明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り


今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

実家のお墓が無くなるのか

次姉の娘(姪)から電話がありました。
兄の所から貰って来たアルバムの写真を
まだ送ってなくてごめんなさいと言う話。


そんなのはいつでも暇な時でいいわよと言って
あれこれおしゃべりしました。


そこで聞いた実家の墓じまいの話。
心根の優しい姪は、暇があると
わが家の実家のお墓に行って
お参りをしてくれてる。


姪の家から、そう遠くない場所だけど
それでも、こまめに行って
掃除してお参りしてくれる。


自分の母親(私の次姉)のお墓にも
ちょくちょく行くようだし
本当にいい子だ。


兄が亡くなって、お墓参りをしに
姪は夫婦で7月の初めだったかに
山形まで出向いて兄のお墓に
お参りして来てくれたそうだ。


兄には息子と娘がいるが
その息子の子供は二人とも女の子。


だから、いずれは我が家の姓はなくなる。
大したものではないが
歴史を紐解けば、秀吉の家来の中に
わが家と同じ苗字の家臣がいた。
(割と珍しい姓)


私の父親の実家は愛知方面だから
たどれば同じ祖なのかもしれないが
姓を継ぐ人がいなくなるのは
これからの世の常だろう。


なので、兄夫婦もお墓を持たず
どこかのお寺に合祀したらしい。


甥も自分の娘たちに負担はかけたくないだろう。


そして、私の実家のお墓。
いつ、どうなっても私はかまわないと思っていた。


すでに私の両親も亡くなって
数十年が経ち、今や立派な仏様に
なってる頃だろう。


姪が出向いてお墓参りして来た時、
実家の墓じまいの話が出たそうだ。


墓じまいをする時には
姪も一緒に見守りたいと申し出たらしいが
お墓に出向く事なく、
全て電話の交渉で済ませてしまえるので
お墓には出向かないと言ったそうだ。


今は、そう言う時代なのね。


姪はびっくりして「いつ墓じまいするの?」と聞いたら
8月か9月になるようだと言われて
姪はその前にお参りに行くと言ったらしい。
(姪も兄の子達、自分の従兄弟たちには
会ったことがなかったが、
兄と姪は結構親交があったので、
お参りに行きたかったそうだ)



そして、数日前にお墓に行って
お掃除をして花を手向けて
お別れを言ってお参りしてきてくれたと言う。

姪にとっては母方の祖父母だ。
勿論、兄の子達にとっても
父方の祖父母になるが
会った事もないし、お墓に多分行った事はないだろう。

私は、勿論すでに実家の姓ではないし
遠くにあってお参りも出来ないお墓だけど
両親と次兄が眠ってるお墓だ。

墓じまいすれば、お骨はその霊園の合祀墓に入るのだろう。

姪は、少し怒りをにじませて
「おばちゃんの分までお参りして来たから、
寂しいだろうけど、じいちゃんもばあちゃんも
安らかに眠ってるからね」と
私に対して慰める優しい子。

仕方のない事だと思う。

そうか、あのお墓が無くなるのか、
長姉、次姉、私、その子供たちまで一緒に
何度も何度もお墓参りに行った。
私が、子供たちを連れて帰京した時には。

イベントのようなもので、たくさん料理を持って行き
お墓の側でピクニックのように
お弁当を広げて、みんなで食べた思い出。

子供達は広い公園のような墓地内で
走り回って遊んでいた思い出。

思い出は決して消えないし
確かに私はあの両親の元に生まれたのだし
いつか私も空に旅立つ時は
嘘か誠か会えるのだろうと信じてるのだから
お墓が無くなってもどうってことはない。

元気なら今すぐにでも
お墓まで行きたい気持ちはあるが
今の私では無理だ。

どうってことない・・と思っていたが
姪から話を聞いた途端に
なぜか物凄い寂寥感に襲われて
涙が出た・・・

明日からお盆だから
夫と一緒にわが家に来てください。
とうちゃん、かあちゃん。





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