明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り


(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)


今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

子供たちの祖父母の話、団塊の世代

息子達と話してる時に
「骨が丈夫になるためには、かかと落としが有効なんだって!
以前は、トイレの後に必ず裏の三和土のところで
かかと落としやってたのに、この頃やってないなあ」と言うと
すかさず息子「三和土ってどこよ!土間の事言うんでしょう!
うちには三和土はないぜ、裏玄関はコンクリートだろう?」と
異議を唱えられた(爆)


三和土の話で盛り上がり
「私の田舎の玄関は三和土だった、いやあれは土間だけど」と言うと
「昔はどこだって土間でしょ。
田舎なんだからそれが普通だよね」と言う会話から
昔の家の構造やら、湧水を汲んで来てた、
薪でご飯を炊いてたからかまどだったかな?とか
大昔の話に盛り上がった。


私は5人兄弟だったが、兄や姉は全員東京生まれだが
私だけ山形の生まれだ。
「父さんが戦争に行ってる間に、家族は母ちゃんの実家に疎開したらしい。
父さんが帰って来たのが戦後1,2年経ってからだから
私は23年生まれなのよ」と含みを持たせながら話すと
「おいおい、おれらのじいちゃんは戦争に行ってたんか?
その話は知らんぞ!初めて聞いた」と言い出した。


「だからね、戦争に行ってた旦那さん達が帰って来て
終戦後の22年とか23年とかにやたらに子供が生まれたのよ(爆)
それを団塊の世代と言うんだわ」と話すと、
「そういう事は知ってるよ!
それでかあちゃんのお父さんはどこへ行ってたの?
戦地はどこよ!」と興味津々で聞き出したので
「確か満州だったか中国方面らしかった。
私も詳しく聞いた事がないから、不確かだけど」


ずっと後になって、父親が満州方面に駆り出されてたと
一番上の姉から聞いた事があった。
その頃はすでに両親は亡くなってたので
聞くすべもなく・・・

私の子供たちは、じいちゃんばあちゃんには恵まれていない。
私の両親も私が結婚した時にはすでにいなかったし
夫の母親も早くに亡くなっていたし、
夫の父親が唯一健在で、九州から埼玉まで会いに行った事が
唯一のじいちゃんの思い出だ。
会いに行った時、子供たちはじいちゃんからお小遣いを貰った事は
記憶にあるようで、二人とも小学生だった。
次に子供たちが会ったのは、この舅の葬儀。

子供たちはおじいちゃんに会いに行ったこの事を鮮明に覚えていて
唯一一緒に撮った写真を懐かしそうに見てた。
(パソコンの中に保存してある)

私達団塊の世代が生んだ子供は、
団塊ジュニアと呼ばれるが
とにかく、人数が多かった。
小学校も中学校も高校も大学でさえかなりな人数だった。
中学は13クラス?教室が狭いと思うほど
生徒が多かったなあ。
私たちの時も例外ではないけど(^_^;)
団塊の世代が後期高齢者になると
日本の人口の20人に一人は後期高齢者になるそうだ。


いつか、日本は崩壊するんじゃないかと思うほど
高齢者ばかりが多くなるのか・・・

何だか申し訳ないような気持ちもあるが
生まれたからには人生は全うしたい。
人に迷惑をかけずに、長生きする事がただ一つの念願。
そう人生はうまくはいかないだろうけど。
とりあえず、今日は元気で生きたと思う事にしよう。(笑)

しゃぶしゃぶの牛肉です。
今日行ったスーパーで、割ときれいなお肉が売ってた。
しゃぶしゃぶって・・・今日もクソ暑いんだけど(笑)


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