明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

赤痢の話

以前に読んだどなたかがブログにて、小さな頃に赤痢に罹ったと言うのを
書いていたのを読んで思い出した。
私も赤痢になった事がある。
それも19歳の時だ。
何が原因なのか分からないが、
事情があって一人暮らしを始めたばかりの頃。
小さなアパートに居た時、あれは6月、急にお腹が痛くなり
猛烈な下痢が始まった。
お腹も我慢できないくらい痛くて
廊下の公衆電話で救急車を呼んだ。

すぐに救急車が来た。その頃私は東京の大塚と言う所に住んでいたが
隣の区の駒込病院に運ばれた。
(育ったのは駒込病院のすぐそば)
駒込病院は、感染症を引き受ける隔離病棟があった病院だったので
そこに運ばれたのだろう。
今、駒込病院は建て替えられて立派な病院になっている。

最初に隔離病棟のベッドに運ばれ、何か薬を飲まされたが
トイレに行きたくてたまらないのは変わらず、
多分手順の中にあるのだろうが、
ベッドのそばにおまるを看護婦さんが置いて行った。
トイレに行くまでが我慢できない・・・

ベッドはカーテンでぐるりと囲まれているが、
すぐ隣にも患者さんがいる。
でも、そんなことなど気になどしてられない(爆)
何度も何度も下痢をした。
(尾籠な話ですみません)

運ばれたのが昼前、夜には落ち着いて来た。
でも、まだ下痢は続いたけど・・・(;^_^A
2日ほどそのベッドに居たかなあ?
猛烈な下痢をするので水分が失われる。
点滴され飲めるのならと水をたくさん飲んだ。
そして下痢が止まってからもすぐには退院が出来ない。
人にうつす可能性があるからだろう。
近くに住んでいた兄に電話して入院に必要なものを持ってきて貰った。
勿論面会は出来ず、兄は窓口で荷物を預けただけ。

しばらくの間、大部屋での生活が始まり
その頃は隔離病棟内なら歩けるようになった。
退屈、暇・・・
その頃は、ネットもなく携帯もなく
兄に持って来て貰った小説を何冊か読んだ。
病室は男女別だったが、廊下では誰もが行き来する。

いつも一緒に廊下にいる若いカップル(その頃の言葉でアベック(爆))がいて、
どうやら2人して赤痢だったようだ。
窓から外を見てると、すぐそばにそのアベックが来て話し出す。
何気なく会話が耳に入る。
私とそう変わらない年頃の二人だったが、
どうも同棲してたらしく、いちゃいちゃと仲が良かった。

時々二人と他愛ない話をした。
他に小さな赤ちゃん連れとか、老若男女を問わず
患者は多くいた。
赤痢は怖い病気だと小さな頃から言われていて
その事は知っていたが
まさか自分が罹るとは・・・

何が原因なのか今も良く分からない。
何か菌の付着した物を食べたのだろうか?
摩訶不思議・・・

私よりも先に退院して行ったが、あのカップルはどうしてるだろう?
かなり長い期間入院してた記憶があるが、もうそれは定かに覚えてない。
2週間以上だった気がする。
ようやく退院してアパートに帰ると大家さんが来て(女性)
「大変だったわね」と果物を持って来てくれたのは覚えてる。
その大塚のアパートの記憶は鮮明なのに
場所がどのへんだったのかを覚えてない。
大塚の駅からさほど遠くない場所だったはずだが
今、グーグルで駅周辺を探しても
すでに様変わりしてるだろうから見つけられない。

今の家に落ち着いてから数十年経つが
それまで何度か引っ越しを繰り返してるので、
地図アプリなどで探して見るがさすがになかなか見つからない。
見つからないと言うよりも、街が変わってしまってるのだ。
同じ建物が今もあるとも思えない。

昔を懐かしむのは、歳を取った証拠だと言うが
青春時代は、どの刻も全て楽しかった。
思い出は美しいのだ(爆)
たとえ赤痢の思い出でも(笑)

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