明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

亡くなった同年代を想う、黒にんにく出来上がり

ブロガーさん達が、中学や高校などの友人たちと
小旅行したり、ランチしたりする記事を読むと
少し羨ましい気持ちになる。


福岡に来てから、とても大切な仲のいい友人たちが
数人出来たので会う時はとても楽しい。
一緒にあちこち旅行にも行ったし。


小5まで山形にいて
それから東京に引っ越して
新しい友人たちも出来たが
高校に入ってからは、それぞれが違う学校になって
疎遠になった。


山形のクラスの子達とは一切交流もなく
東京の友人は、今も交流があるのは2人。


いちばんショックだったのは
こちらに来てからのいわゆるママ友?
ご近所(目の前)に住んでいて
上の子が同級生と言うママ友が数人いた。


幼稚園からのお付き合い。
ご多分に漏れず、あちこち子連れで出かけていたが
私は今の家に越し、もう一人は住居付きのお店を買って
そこで商売を始め、
もう一人は離婚して、子供二人を連れて引っ越した。


この離婚した友人は猛烈に働いていた。
とてもガッツのある人で仕事に趣味に
頑張っていたのに、
娘さんが結婚して孫が二人出来て
本当に幸せそうだったのに
ある日、突然倒れた。


娘さんから連絡が来て、入院してると聞いて
お見舞いに行くと頭に包帯をぐるぐるに巻いて
静かにベッドに寝ていた。


「早く元気になって退院して、
また日帰りバス旅行とか行こうね」と言うと
「そうね、あそことかあそことか楽しかったわね。
又行きたいわ」と嬉しそうに話してくれた。


娘さんに聞くと病名は脳幹腫瘍だったそうで
脳幹の所に出来た腫瘍は
手術が出来ないと言われていたそうだ。
(少しは取り除いたらしいが)


それからしばらくして亡くなったと知らせが来た。
まだ59歳だった。


小さな葬儀場に行くと
娘さんとそのご主人、ご主人のお母さんが迎えてくれて
式場には妹さん二人がいた。


小さな小さな祭壇だった。
今でいう所の家族葬かな?


同じ年だったママ友の死は少なからず衝撃だった。
その少し前に、私は夫を亡くしてたので
夫の死と同じように受け止める事が出来なかった。


夫の死とともに大きな精神的ダメージを受けた。


その友人が亡くなってしばらくして
娘さんが離婚をした。
小さな子供を連れて他の県から福岡に戻って来たが
葬儀の時にはすでに離婚の話が出てたらしく
娘さんが心を病むようになったので
私が通院していた心療内科を紹介した。


娘さんは母親を亡くし、離婚して
つらくて心細かったのだろうが
本当に申し訳ないが、
私は何かを相談されても
受け止めてあげられなかった。


ただ電話口で話を聞く事しか・・


私自身が夫の死で心が壊れてたから・・・


ちなみに別れたご主人のご実家は
他の県では超有名な大きな和食のお店で
離婚の際にもその後の養育費も
かなりな金額を貰ってると話してくれてた。


友人が亡くなってもう15年?
今は、もうその娘さんとも連絡は取れないが
子供たちも大きくなっているだろうし、
元気でいてくれるといいけど。


。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・


黒にんにくが出来上がりました。
作り始めて12日目?
とても立派に出来た、
一個皮を剥いてみました。


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