明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

夫の妹さん、読了「鍵のない夢を見る」辻村深月

数日前の夕方、携帯に見知らぬ番号からの着信。
出なかったが、呼び出し音が消えてから
留守電に何か言ってるらしいので
そこでやっと電話に出てみた。


留守電に何か話すと言う事は
まさかセールスではないんと思ったから。


もしもしと出てみると、
「〇〇子さん、私〇〇子です」と言ったので
一瞬、誰?と思ったが、あっと気が付いた。


夫の妹さんだった。
実は、夫の妹さんとは会った事も無ければ
話した事もない。
妹さんがいる事は知っていた。


義父が再婚してから生まれた娘さんで
何やら色々あって、夫の義姉達とは
距離を置いてた時期があって
私もずっと無縁で過ごしてた。


夫は、上京するたびに妹さんと会っていたそうだが
詳しく話してくれたことはなかった。


先日、義姉の納骨に行って来たと話してくれた。
私は、もうすでに姪が納骨をすませてるとばかり
思っていたが、違ったのだった。


初めて話す私にとっては義理の妹。
しばらく近況を話し、亡くなった義姉の話をした。


「3か月に一度くらいは〇〇ちゃん(義姉を名前で呼ぶ)と会ったり
電話してたりしたんだけど、
その時に〇〇あんちゃんのお墓にお参りしたいし
〇〇さん(私の事)にも会ってみたいから
今度一緒に福岡に連れて行ってと話してたのよ。


それなのに、あっという間に亡くなってしまって
本当に信じられなくてね。
でも、納骨して来たけどとてもいい場所だった」と
話してくれた。


そう言えば、以前に義姉がそう言う話をしてたなと
思い出した。
長い間、この妹さんとは疎遠だったけど
何かのきっかけで仲良くしてると。


たくさんの話を聞いた。
今までの事や、義父の失踪の話や
夫がとても可愛がってくれて
いつだったか自転車を買ってくれたとか・・


全く知らない事ばかりだった。


夫の家系は癌体質なのだろうか?
上の二人の姉と兄は胃がんで亡くなり
義姉と夫は大腸癌からの肝がん。
妹さんも5年前に大腸がんで手術をしたそうだが
早期だったので、今は何ともないとの事。


心臓病で薬も飲んでるとの事。


「〇〇さん、今おいくつ?」と聞くと
69歳だそうだ。
夫とはちょうど10歳離れていると・・


私の歳を言うと「えっ?そんなに若いんですか?」と
来たもんだ😂😂😂


一体いくつだと思ってたんだろう?聞かなかったけど😁
80歳ぐらいと思ってたのか?
あなたのあんちゃんよりも年下ですから・・・😁


息子達に言うと、80だろうが75だろうが
69だろうが、みんな同じようなもんじゃない?と
言われてしまった。


まぁ、そう言われてみればはたから見たら
区別はつかないだろう。


義理の妹の口調は義姉にそっくりだった。
姪も義姉にそっくりな口調。
それを言うと「さすがの血ですかね?」と
笑っていた。


詳しい話は聞いていないが
父親の失踪で夫や義姉からすれば、義理の母親と妹とは
全く交流がなく疎遠になってると以前義姉が言ってた。


なので、夫の兄や一番上の姉が亡くなった時にも
この妹さんは葬儀に来なかった。


だから私も会う事もなく今まで来た。
夫の兄や姉とは、濃い密度で会う事があったのに。


すでに夫の両親はいなかったので
結婚の報告にはお兄さんの家に行ったし
私が小倉で子供を産んだ時にも
2人の義姉が交代で来てくれてお世話になった。


戸籍を見ると確かに
義妹とそのお母さんの名前が載ってたので、
存在は知っていても、会う事もなかった夫の妹さん。


義姉が亡くなって、もう夫の兄弟は
この妹さんだけになった。


たぶん、この先も多分会う事はないだろうけど
同じような年代だから
お互いに体に気を付けて
元気でいましょうねと言って電話を切った。


それにしても妹さんが69歳とは知らなかった。
もっとずっと若いと思っていた。


電話を切ってすぐにお仏壇に向かって
「お父さん、〇〇子さんと電話で話したわ。
お父さんのたったひとりの妹さん、
ちょっと驚いたけど嬉しかった~♪♪~」と
すぐに報告。


夫はきっと喜んでるだろうな。


。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・


読了「鍵のない夢を見る」辻村深月。
直木賞受賞作の短編5編の小説。
普通の町に生きるありふれた人々の
魔が射す瞬間を見事に描いてると思う。


最終話の「君島家の誘拐」は、
育児に疲れた母親の心情が見事だけれど
ここまで追いつめられる気持ちが
私は理解できなかった。


知り合いの誰もいない小倉と言う町で
私は二人の子を産み育てたが
街の人情なのか、ご近所さんに恵まれて
いつも助けて貰っていたし
どこか抜けてる性格のせいか
あまり物事を深刻に考えなかったからかも?😂


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