明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

義姉の訃報


頭が、まだ混乱しています・・・


8月の末に姪(夫の上の姉の子)から電話があって
義姉(夫の下の姉)が癌になり、手の施しようがなく
余命が3か月だと診断され
今入院しているとの報告だった。


お見舞いに行きたいと言うと
コロナがまだ流行ってるので
病院側が敏感になっていて
病院の面会の許可が出ない、
姪も面会はほとんど出来ないと言う話だった。


おばちゃん(私の事)ももう高齢だし
無理して来ないで欲しいと義姉が言ってるらしく
万が一の時の葬儀にも出なくてもいいし
こちらで全て行いますと
義姉の言い方にそっくりな姪のはきはきした言葉。


義姉がそう言ってるのだそうだ。


心配だけど、どうにもならない、
万が一の時には何としても上京しようと思っていた。

昨日の夕方に姪からの着信。
義姉にメールを送ったので
その返事かな?とかのんきに電話に出た。

「おばちゃんが、今朝の5時40分に亡くなりました」

絶句!

余命は3か月と言ってたではないか!
つい5日前に!
そんなに突然に亡くなるとは信じられなかった。

3日の日曜に、義姉はとてもつらくて痛くて
こんなにつらいなら生きてたくないと
姪に訴え、先生に訴えたそうです。

そこでモルヒネを使う事にしたそうで
モルヒネの効果はあっという間に効いて
義姉は寝たままだったそうだ。

5日の午前1時に病院から連絡があって
危ないとの事で姪夫婦は駆け付けたそうだが
その時は姪の来たことを義姉は認識したらしいが
朝の5時50分に亡くなったとの事。

言葉にならない・・・
相当、義姉は辛かったのだろうと思う。
弱音を吐かない気丈な人が
生きていたくないほど痛いというほどだから。

勿論、おばちゃん(私の事)は
来ないでください、遠いし大変ですし
まだコロナも落ちついていないし
今の暑い時期におばちゃんに何かあったら大変なので
そちらで祈っていてくださいと
きっぱりと断られた。

病気の事や葬儀の式次第などを
全部写真や書面にして
全部終わった後に送りますからと・・

何も力になれず、申し訳ないと泣くと
いえいえ、おばちゃん(義姉)に言われた事ですから
私たちがきちんとします、
小さく少人数できちんと送ります、
お坊様もお呼びしないし、白装束も着せません、
おばちゃんのいつものままで
〇〇〇子(義姉の名)で旅立たせますと姪が言う。

電話を切ったら、突然悲しみがあふれた。
息子1が飛んで来た。
亡くなった事を言うとびっくりしていたが
誰もそう思うだろう。

義姉が、あまりにつらい苦しい痛いというので
たぶん3年前に亡くなった義兄や夫が
早く迎えに来たんだろうと思った。

夫の仏壇に毎日、義姉を苦しませずに
安らかに迎えに来てねとお願いをしていた。
義姉も大好きだった弟(夫)や先に逝った姉と兄、
そして長年連れ添った大事な旦那様、
みんなで迎えに来たので
旅立って行ったのかも知れない。

そう思わないと納得が出来ない。
8月にはまだとても元気だった。
梨を送って貰った時、
お礼の電話の向こうでとても元気そうだった。

友達に会いに出かけると言うと
〇〇(姪)に危ないから駄目と怒られるのよとか
楽しそうに話していた。

姪の話では8月のお盆の頃から
吐き気とめまいがひどかったそうで
たぶんそれが病気のせいだったのだろう。

手術も出来ないほどの大きさの大腸がんの腫瘍、
転移した肝臓がんの大きさも相当だったらしい。
手の施しようがないほどの末期だったそうだ。

なので余命が3か月・・・
それを聞いてまだ6日、
あまりにもあっけなく逝ってしまった義姉。
でも、きっと義姉は苦しみの中で
逝ったのではないと信じたい。

まだ、頭が混乱しています。

私は、今も体調が万全ではなく
飛行機に乗って東京まで行く自信がない。
東京の先の都市まで行く自信がない・・・

あれほど色々とお世話になった義姉の
顔を見て見送りたいが
途中で調子が悪くなったら
余計に迷惑をかける事になる。

義姉の希望通り、姪の言う通り
わが家から祈り続けようと思う。

でも、義姉は夫と同じように
眠りながら旅立ったのだ、
安らかに旅立ったのだと思う。

83歳、まだまだ10年20年と
長生きすると思ってた元気な義姉だったのに。
義姉も、〇〇ちゃん、私より先に死なないでよと
口癖のように言ってたのに。

あっという間に人がこの世からいなくなると言う
切ない無常さ・・




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