明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

お盆

昨日からお盆だ。
夫が亡くなってもう15年が過ぎ、
どんどんお盆やお彼岸の行事が簡素になって来てる(;^_^A
お知り合いからいただいた立派な盆提灯も
数年前から飾らなくなったし、
今年に至ってはお迎えの馬も牛も作らなかった。
お供えはしてるが、盆棚も数年前から作らず
小さな経机で代用してる。


私は、夫は常に家に居ると思ってるので
おかえりなさいと言う感覚はない。
私は全く霊感とかがないので
何も見えたことがない。
(友人は見えるらしい、怖いわぁ(;^_^A)
でも何年前からの数年間は、
お盆になると家の中で足音が聞こえたり
ドアの音がしたりした。
最初は家族なのかと思っていたが
聞いても部屋から出てない、歩いてないと言うので
ああ、これが夫が帰って来たと言う事を
私に知らせようと音を立ててるのか?と
勝手に思っていた。
それは数年間感じたが、もう今は全く気配のけの字も感じない。


仏教に帰依してる友人は、人は亡くなってから長い間
浄土にたどり着くまで修行しながら歩いてるのだから、
お盆やお彼岸には、必ずひと休みして貰うために
お迎えするのだと教えてくれた。
最初、私はそれを信じていた。
お彼岸には必ずさらしの反物に「お衣替え」と書いて、
お供えしてた。
着物が修行中に汚れたり破れたりするから、
新しい晒で新しく着物を作って着替えるのだと・・


でも、色々考えた末、そういう事を辞めた。
(精神科の先生とお話しして、固まっていた考えが変わったのだ)
夫はもうすでに浄土にいて、
毎日穏やかに過ごしてると考えるようになったら
ものすごく気が楽になった。
一時期、私はその友人の言葉を全て信じて
過激なほどに仏事にのめり込み、
ものすごく不安定な日々を過ごしたのだ。


ある日、友人にあれやこれやを断ってみたら
友人はあっさりと了解してくれた。
友人も私や夫の事を思い、色々アドバイスしてくれたのだろうが
特に強要されたわけではない。
不安定な私は、何かにすがりたかっただけなのだ(;^_^A


買い物にも行かないので
お供えは最低限の物を飾った。
お供え団子も作り、夫の好物を作り
いつものお線香ではなく
渦巻型の一日香るお線香をつけてお参りしている。
「おかえりなさい、でも毎日いるでしょ?」(笑)

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