明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

草刈正雄さんのファミリーヒストリー

録画していたNHKの「ファミリーヒストリー」を見た。
草刈正雄さん、今年70歳なる誰もが知る有名な俳優さんだ。


福岡県の出身とは知っていたが
ハーフがゆえに、多分小さな頃から
つらい思いをしていたのだろうと
昔は想像した。


お母様もすでに亡くなって
父親の事をお母さまから聞いたのは
断片的な数少ない情報だけだったと。
朝鮮戦争で亡くなったとも。


アメリカ人の父親の名前は知っていても
出身がどこなのか、海軍だったのか陸軍だったのか
名前のスペルも何も知らないままだったそうだ。


NHKは去年から捜索を試みたが
名前のスペルが分らないのは
捜索の上で非常に困難だったそうだ。


そして、去年の11月に従兄弟と言う人からの返信。
すぐにノースカロライナに住んでる
その従兄弟と言う人に会いに行って、
出て来た人物を見た時
あっ!似てる!と思った。


従兄弟と言う人は
草刈正雄さんのお父さんのお姉さんの子供。
彼は母親から日本に従兄弟がいると
聞いていたそうだ。
従兄弟と草刈さんのDNA鑑定をしたそうだが
結果も従兄弟だと証明された。


母親(草刈さんの叔母)はまだ97歳で存命。
すぐに会いに行った時に
草刈正雄さんの父親の若い時の写真を
見せてくれたが
草刈正雄さんに似ているとてもハンサムな人だった。


草刈正雄さんは、生まれて初めて
自分の父親の顔を見たのだ。


お母さんはハーフの子供を育てるのに
非常に苦労したそうだが
それでも草刈さんは偏見もものともせず
(色々あっただろうけど)
のびのび育ち芸能界に入って成功したが
父親の事は、ずっと心の中でもやもやしていたのだろう。


70歳になって初めて知る事実に
草刈さんは、時折涙を流し言葉に詰まり
言葉に表現できないと話していた。


草刈さんのアメリカの従兄弟は
何人もいたが
父親のことは、あまり多く話題が出て来なかった。
父親は、草刈さんが生まれる前にすでにアメリカに
帰国してしまったらしいが
なぜ一緒にアメリカに行けなかったのか・・・
そのあたりが少し曖昧だった。


父親はその後軍人としてドイツに渡って
ドイツで結婚したらしく、
父親家族の事はほとんど出なかった。


複雑な心境だったろう草刈正雄さんは
今年の7月にアメリカに行き
叔母や従兄弟と会って来ていた。


70歳になって初めて知る自分のルーツ。
見ているこちらももらい泣きしてしまった。


このファミリーヒストリーの番組は
ずいぶん前から見ていて
毎回感動させられるが
今回ほど感動した内容はなかった。



お盆も今日で終わり。
夕方には送り火を焚いて
お見送りしましょうか。

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