明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

団塊の世代に生まれたのは罪なのだろうか?ゆずり葉

団塊の世代のBBAのひとり言です。
気分を害するかも知れないので
興味のない方はスルーしてください。


ある人の記事を読んで、
ああ、そう考える人もいるのだなと
とても心が寒くなった。


何度もテレビやニュースで取り上げられる。


団塊の世代の人たちが多すぎて
社会保障や医療費の金額が多くなり
若い世代の人たちの圧迫になるとか何とか・・・


団塊の世代の人のほとんどは
父親が戦争から生きて戻ってきて
必然的に自然の摂理で子供がうわ~~っと出来た訳ですよ。


戦後の物のない時代を何とか生きながらえて
大きくなった世代です。
日本は等しく貧乏で(一部を除いては)
たくさんの同じ世代の子供たちは
亡くなったりした子も多かっただろう。


その中を何とか親に必死に育てられ
小学校、中学校にはあふれるほどの子供達。


ひとクラスが50人なんてザラで
8クラスとかもあった。


大人になって、せっせと頑張って働いて
世に貢献してきた世代でもある。
逞しく生きてきた。


長く頑張って生きて来て老いれば
ジジババが多すぎて社会の邪魔な存在と言われる。


理不尽ではないだろうか?
長生きするだけの高度な医療や
社会の仕組みで生きて生かされて来て
邪魔者扱いされるのは心外だ。


等しく頑張って来たのだ。
そして、日本の片隅で静かに生きて来たのだ。


自分で自分の逝き方を選べる
映画「PLAN 75」のような法律があったなら
私はきっと利用するだろう。


でもそれは最終手段だ。


食事も美味しく元気で生活が出来て
あれこれを楽しみながら生きられるのであれば
100歳まででも生きたいと思う。


だから、どうか好きに好きなだけ生きさせて欲しい。
私たちは等しく「ゆずり葉」なのだから。
こういう望みも贅沢な事なのかなぁ?


ゆずり葉  河井醉茗


子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。


こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。


子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。


かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。


世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。


今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。


そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。


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