明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

昨日は義兄の命日

雷ゴロゴロ、大雨です。
せっかくの桜が散ってしまわないか?




昨日は夫の姉の旦那さんの命日だった。
義姉夫婦は、義姉がとてもしっかり者で
義兄は物静かな人だった。


義兄は、少し弱視なので
いつも義姉の運転で移動していた。


目は悪かったが、長い間元気に働いて来た。


夫が痛みに耐えられなくなり
ホスピスに痛みで入院した時に、
(それまでホスピスから毎日家に帰っていた)
東京に住んでいた義姉に危ないと知らせたら
義姉と上の義姉の子、姪と甥が飛んで来た。


ホスピスには、家族が泊まれる設備があって
そこに義姉達は泊った。
義兄は、体調が良くないからと来られなかった。


その翌日に夫は亡くなった。
たったひとりの姉を待っていたかのように。


義姉達はすでに覚悟して来ていたので
通夜葬儀と親身になって手伝ってくれた。


4日ほどこっちにいたのかな?
東京に戻ったら、義兄が大変な事になっていた。
なぜ、義兄が救急車を自ら呼ばなかったのか
今では分からないが、
自分で病院に行かなかったので
持病が悪化したらしい。
きっと義姉が帰るまで待っていたのだろう。


義姉はすぐに病院に連れて行き
即、入院となったが
多臓器不全を起こして亡くなる寸前だったようだ。


人工肛門になり、腎臓と肝臓が相当悪くなり
目を離せない状態になってしまったが
義姉は、病院ではこまめに看護して貰えないからと
数か月入院の後に自宅に引き取った。


せっせとリハビリをして
家の中で、ゆっくり歩けるまでになり
落ち着いた生活が続いていたが
それでも、薬の作用で高糖尿になり
食欲が落ち始めたので、
とうとう又入院になった。


ちょうどコロナが流行り出した時だった。
その病院でもクラスターが発生したが
義兄も義姉も幸いにもコロナに感染はしなかった。


でも、とうとう亡くなった。
志村けんさんが亡くなったすぐ後だったので
コロナ感染者でもないのに
葬儀は密葬になり、私は上京出来なかった。


あれから義姉は、姪の側に引っ越して
姪達と一緒にあちこち行ったりして
楽しい生活を送っていた矢先に
義姉もあっという間に亡くなった。


今頃は、遠い空の上で
夫や義兄や義姉達は、安らかに静かに
楽しく暮らしてるだろう。
そう思いたい。


私の兄弟も親も全員亡くなり
夫の兄弟も夫までもが亡くなって
周りを見れば私ひとりだ。


でも、私の友人や知人はみんな元気。
あそこが痛いここが痛いと言いながら
それぞれが趣味を持って楽しんでいる。


私も楽しむぞっ!


。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・


しかし、高橋真梨子さんのこの歌は
心に響くなあ。
去年の1月のコンサートを終えてから
休養に入ってしまった。
もうコンサートは開かれないのか。
何度かコンサートに行ったけど
この最後のだけは見に行けなかった。
私と同じ歳。



枯れない花


「枯れない花」 高橋真梨子


今も信じてるよ「ただいま」と返って来ると
時は過ぎるようで本当は止っているのかな
長い哀しみの中で束の間の喜びが明日へと呼んでいる


きっと貴方はせつなく私に背を向けた
思いのまま咲き乱れる春の風とともに


今も思い出すの平凡な日々の暮らしを
それが幸せだと気づかない私だったから
刺激求めた季節に染まり
うつろのなるとまどいの薄化粧


消える事のない夢は眠って見つづける
朝な夕な淡浮き立つ遥かな夢模様


「誰よりも君を解ってる誰よりも君に恋してる」
さよならの時数え切れぬ愛の言葉残した


枯れる事のない花がこの世にあるのなら
泣いて泣いて川になって貴方に流れつく


光り輝いた道を貴方と歩きたい
燃える時も尽きる時も私を抱きしめて


光り輝くこの道を貴方と歩きたいから
燃える時も尽きる時もそばに居たい

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