明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

愛しい猫が旅立った3年前

2019年9月の今日、わが家の最後の家族の猫が18歳で亡くなった日。
今も思えば寂しさが募る。


ワンコの散歩の途中で、小学校の前に捨てられていて
帰宅途中の子達が群がっていた。


どこの子猫ちゃん?と聞くと
みんなが「捨て猫みたい」という。
午後の4時頃、まだ日がかんかん照りの中
誰が捨てたんだろう?
小学校の前なら誰かが拾うとでも思ったか?


泣き声も上げず、小さく震えていた子猫。
もし亡くなるのなら、我が家で見送ってやろうと思って
連れて帰った。


すでに、その時わが家には2匹の先住猫と
シーズーのわんこが居た。
シーズーのわんこは、友人宅からやって来た子。
娘ちゃんの遊び相手にと買ったらしいが
娘ちゃんがいじくりすぎてストレスから下痢ばかり繰り返し
病院通いだったらしいのを
わが家で引き取ったのだった。


先住の猫ちゃんも、私が拾ってきたり子供が拾って来たり
にぎやかな家族だったので
子猫ももしかしたら元気になるといいなと思いながら。
わんこも他の猫たちも、チビ猫ちゃんから全く離れず
見守っていたのがいい光景だった。


次の日、かかりつけの動物病院に連れて行き
栄養の点滴などして貰って診察して貰ったが
長生き出来ないかもと言われた。
目がようやく開いたばかりらしく生まれてひと月くらいと。
なのでこの子は8月生まれとカルテには書いてあった。


最初はミルクをスポイトで飲ませて、必死になって育てた。
少しづつ元気になったが、どうも便の出が悪い。
マッサージしたりお尻を刺激したりしても出ない事が多かった。
かなりの偏食だったがご飯は良く食べたのに。


ずっとこまめに動物病院に通っていたので
ある時レントゲンを撮って貰ったら
背骨の変形と骨盤が極端に狭い事が判明。
良く猫は猫背と言うが、その猫背が山並みのようにうねってるのだ。
そして腸の動きが極端に悪いとの事。


先生はもう少し大きくなったら手術しましょうと言ったが
長生き出来るかどうか・・・と。


6か月を過ぎ、大手術をした。
骨盤と大腿骨を金属のプレートで出来るだけ広げて
固定させる両側の手術。
2か月の入院。
毎日、病院に顔を見に行った。


手術には耐えたが、骨盤はそれほど広がらなかった。
腸ん動きも悪く、だから慢性的な便秘状態。
なので、週に1度は必ず病院で便をかきだして貰っていた。
先生が小指を使ってお尻に詰まってる便をかきだす。
物凄く痛くて辛いのだろうが、
病院は、この子の悲鳴を私に聞かせたくなくて
夕方ぐらいにまた来てと帰宅を促された。


その上、背骨が曲がってるので
子猫ぐらいの大きさにしか育たなかった。
週に一度の病院通いと、薬と点滴。
この子が18歳で亡くなるまで続いた。
歩けなくはないが、後ろ足が思うように動かなかった。
最後の1年は、もう後ろ足が立たなくて
前足だけで歩いていたが、それでもトイレの粗相などなく
家の中を自由に歩き回っていた。


シーズーは夫の後を追うように
夫の命日の翌年の同じ日に18歳で旅立った。
他の子は、12歳と13歳の命だったが
意に反してこの子は一番長生きをした。
18歳と1か月。


今も後悔の念に駆られるのは何としても生きて欲しいと願い
亡くなる2日前までも栄養の点滴を受けに行った事だ。
もう寿命だったのだろうし、病院と家との行き来だけで
塀を飛び越えるジャンプ力もなく
庭だけがこの子の世界だった。
もう無理な事はさせず、ゆっくりと家で休ませておけばよかった。
それだけが心残り。
でも、私が元気なうちに見送れたことが
一番ほっとした。
こんなに手のかかる子を、子供たちが細かく面倒見てくれるとも
思えなかったから。


骨と皮だけの状態になり、体もすでに動かなくて
ずっと寝たきりでピクリとも動かない日が2日続き
2019年の今日、夜中の4時に息絶えた。


まだ暑さの残る頃だったので
きれいな段ボールにタオルを敷いて寝かせ
庭の花や飾っていた花をたくさん入れて
葬儀屋さんに来て貰って火葬にした。


安らかな顔だったのが救い。
思うだけでまだ涙が出る。


葬儀屋さんから電話があって
お骨上げに来てくださいと言われて飛んで行った。
お骨は網の上にあって、寝た姿のままのきれいな骨があった。
骨盤の所には2枚の金属のプレートが残っていて
しっぽの先まできれいなままの骨。
そこの奥さんが丁寧に一つ一つ説明してくれて
骨壺にひとつずつ入れて行き
人と同じように最後に喉仏の骨。


大事に丁寧に骨壺に収め、家に連れて帰った。
居間に祭壇を作ってそこに安置した。
いつでもみんなといられるように、
今までの子も全員そうだった。


それから長い間、お世話になった病院に亡くなった事を知らせ
係の先生にお伝えくださいと言ったら
次の日にその先生から花束が届いた。
その頃は、女医さんが長くうちの子を診察してくれていたので
10年以上のお付き合いだった。
カードが添えられていてそれを読んでまた泣いた。


わが家の子達は、みんな庭に眠っている。
並んで眠っている。
人と同じように、四十九日が過ぎてから
この子も同じように埋葬した。
小さな骨壺の中の小さな骨・・・
きっと、この子は虹の橋を渡って夫や先住の猫ちゃんや
ワンちゃん達に会って
こちらでは出来なかったジャンプも木登りも軽々と
やってのけて楽しんでる事だろうと思う。


苦しいだけの治療の日々だったけど
少しはうちに来て幸せだったと思ってくれるだろうか?
ありがとう、グーちゃん。
お母さんはあなたと暮らせて本当に幸せだったよ。
いつかまた会おうね、会うのはまだ先になるといいけど(*^。^*)


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歩き方の後ろ足がこんな感じでした。



とても凛々しい顔のイケメン。


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