明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

小さい時に通った銭湯ノスタルジー

昨日の録画番組を何気なく見ていたら
銭湯の名前が出て来た。
文京区の銭湯で「ふくの湯」と言う名前だった。
その銭湯の画面も出て来たが
最初は全く分からなかった。
だが、しばらく見てたら私が少女時代を過ごした街の
銭湯だと分かった。


ここはきっと父と行った銭湯だ!と思い出した。
小学校5年の時に私は東京に引っ越した。
父が営んでいた小さな居酒屋と言うか焼き鳥屋?
その2階が私の居住場所だった。


勿論、家にはお風呂などない。
わが家は勿論ご近所の人たちはみな銭湯に通っていた。
お風呂のある家などなかった。
むしろ、田舎の家の方にはお風呂があったほどだ。
(田舎には銭湯などないので)


歩いて行ける場所に銭湯はあった。
たぶんそこがテレビに出て来た「ふくの湯」だ。
私の記憶違いでなければだが・・・


長姉もいたが、ほとんど私は父親と銭湯に通った。
普通に男湯に入っていた(笑)
でも、ある日同級生の男の子が銭湯にいた事があって
それからは一人で女湯に入るようになった。


昔は、そういう所はあまり厳しくなかっただろうし
年齢制限はなかったように思う。
私も全く抵抗はなかった。


今は、そうはいかないかもね。
たぶん、年齢制限はあるのかも。
懐かしい時代を思い出した。
銭湯もそうだが、土曜ごとの縁日、家の前を走る路面電車、
とても幸せな子供時代の思い出。
姉の夫が路面電車の運転手だったので、
ただでよく乗った(^_^;)


たまに夜に目が覚めた時、父の店が閉まった後に
父が連れて行ってくれた鶯谷の美味しいタンメンのお店。
家のすぐそばのにぎやかな商店街、谷中の墓地
根津神社、駒込病院、六義園・・・
王子の飛鳥山公園辺りまでは普通に歩いて遊びに行った。
子供の頃は健脚だったんだろう、
自転車に乗ってた記憶がないから。
あまり遠ければ都電に乗って。
男女合わせて7.8人のグループでいつも遊んでいた。
(決して不良グループではありません(笑))
近所の子や、同じ学校、隣の学校とか
友人の友人の友人たちで気が合う仲間。


その頃の仲間でまだ付き合いが続いてるのは
女子3人だけだ。
今のように豊かな時代ではなかったが
何だか心はとても豊かだった気がする。
ノスタルジーに浸るBBA。(*^。^*)
そして食べる。(爆)

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