明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

次兄の命日を忘れてた

今月は、次兄の命日だった。
親不孝ではなく兄不孝と言う言葉があるかどうかは
知らないが
私はすっかり忘れていた。


次兄が亡くなってもう30年になる。
55歳の若さで亡くなった。


次兄は、料理人だったので
大きな仕出し屋さんに乞われて
バリバリ仕事をしていた。


その何年か前に、何の理由か分からないが
長年連れ添ったお嫁さんと離婚した。
可愛い娘が2人いて、高校生だったか?


次兄は、とても性格が穏やかで
とてもやさしい人だったのに
離婚の理由は、結局分からなかったが
夫婦には夫婦の色んなことがあったのだろう。


独り暮らしのアパートで倒れてるのを
大家さんが見つけてくれた。


それまで無断で休んだことが一度もなく
会社に来ない兄を心配して
会社から大家さんに連絡が入ったらしい。
大家さんとも仲よくさせていただいてたようで
すぐに大家さんが部屋を見たら
倒れていたそうだ。
すぐに救急車で病院に運ばれたそうだが
その時からすでに意識はなかったと。


千葉に住んでいる長姉に大家さんから電話があって
姉が飛んで行って私に連絡が来た。


病院の説明では、多分このまま意識は
戻らないだろうと言う事らしかった。
脳出血?脳全体がすでに血だらけだったらしい。
手の施しようもなったと言う事だ。


今でいう所の植物状態。
姉が毎日、病院に通って世話をしていた。
私は、一度お見舞いに行ったが
ただベッドに横たわってる兄の姿を見ただけ。


離婚した嫁さんは勿論来なかったが
娘たちはお見舞いに来てるとばかり。
だが、一度もお見舞いには来なかったそうだ。


約2か月、一度も意識を戻すことなく亡くなった。
葬儀にも娘たちは来なかった。
私は、娘たちの小さな頃からの
写真を何枚も持って行ってたので
それをお棺の中に入れた。


兄は次兄なので本来は自分でお墓を作るのだろうが
離婚して独り身だったので
長兄が実家のお墓に納骨した。


姉は、お墓が近かったので
よくお参りに行ったそうだが
時々、きれいなお花が飾られていることがあったそうだ。


私は九州、長兄は山形、長姉の他に
お参りに行く人はほとんどいない。
長姉は、「もしかして〇〇子達(兄の子)かもよ」と言っていたが
それなら私も嬉しいと思った、
そうであって欲しいと・・・


病院にも葬儀にも来なかったが
兄は娘たちを受取人にして
生命保険をかけていて
それぞれ1千万ほどらしかったが
会社の方から連絡したら、二人で手続きに来たらしい。


お嫁入り前の20代前半の子達には
大きな金額だろう。
ほとんど会う事もなかった父親からの
最後のプレゼントだ。


せめてお墓にお参りに来てくれるような
やさしい子達でいて欲しかった。
兄は、絶対に娘たちにとって嫌な親ではなかったと
私は信じてる。


離婚のいきさつが分からないから
何とも言えないが、
あのやさしく不器用だった兄が
絶対にいい父親だったと信じたい。
いい夫ではなかったかもしれないが・・・


にいちゃん、思い出す事も少なくなったし
命日まで忘れてしまう妹でごめんね。


にいちゃんの娘たちも、きっと幸せでいると思う。
見守ってあげていてね。


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