明日は明日の風が吹く・70代日々の綴り

(月の雫・・・)からのブログ名変更してます)

今更になって生きてる意味を考えても仕方がない
今、生きてる事が重要
来るであろう明日、来ないかもしれない明日
人はそう言う薄氷の上で
毎日を過ごしてるのだと思う
だから、今日が大事、今が大事
明日は明日の風が吹く

「夫の墓には入りません」読了と実家のお墓

垣谷美雨さんの小説「夫の墓には入りません」を読み終えた。
題名とは裏腹に、色々考えさせられる内容だった。
とても楽しく少しだけイライラしながら
そして最後にはスッキリして読み終えた(笑)


私の夫は次男なので、夫の実家の墓には入らず
この地でお墓を作った(納骨堂を購入)
なので、小説の主人公の気持ちは分からないが
私の実家のお墓の事は気にかかる。


私は5人兄妹だったが、すでに3人は亡くなり
長兄と末っ子の私だけしか残っていない。
父親が作ったお墓は千葉にある東京の公営墓地にあって
(東京ディズニー何たらと同じだわね)
兄は山形に住んでいる。
山形から年に数度千葉まで行き、お墓を守ってくれている。
兄は昔ながらの考え方なので
兄の長男がお墓を守ると決めている。


いつだったか、お墓を山形に移したいと言う事を
ぽつりと話した事があった。
その時私は大賛成だと言った。
律儀に山形から千葉までお墓参りするのも大変だろうし
兄ももう80をとうに越した年齢だから
頻繁にはお参りにも行けないだろうし。
私などはもう10年以上行ってないし(^_^;)


ただ今のお墓を墓じまいして、両親、祖父母のお骨を
新しいお墓に入れるのには、何かと面倒らしいし
お金も結構かかるそうで・・・


今の公営墓地は、大規模な墓地ながらわが家の場所は
立地の良い所にあるし、
何よりも公営墓地なので、年間の管理料がやたらに安いらしい。
そこを墓終いして移すのにも、新しく墓地を買うにも
多額の金額が発生すると言う事で、
兄はもう少しもう少しと先伸ばししていて今に至った。


私は、それほどこだわりはない。
もし、何かの事情で誰ももう墓守する事が出来なければ
両親や祖父母のお骨は共同墓地に合祀されても構わないと思う。


少子化の時代、家名を継ぐのはどんどんいなくなる。
実家の兄の所は息子と娘がいるが
その息子には娘しかいないから
いずれ実家の苗字を継ぐ人はいなくなる。
それでもかまわないと思う。


時代が流れて人は忘れ去られ
そして誰もいなくなるのだし
苗字に固持したり跡継ぎを固持したりしても
いつか誰もが消えるのみだから
それはそれでいいのではないかと思う。

最近、歳を取るにつけ
どんどん達観して来てる?私?(爆)

これは多分韓国ドラマの内容に影響されてると思う。
「トッケビ」や「神と共に」や今まさに見てる
「明日」というドラマの内容に感化されてるなぁ。(笑)

若い頃、私は人が亡くなったらただの無になると思っていた。
でも、両親の死、姉たちの死、何よりも夫の死を経験して
肉体は滅びても、きっとどこかに花園のような死後の世界があって
魂はそこで安らかに過ごすのだろうと思うようになった。
思うと言うよりも切なる願い?(^_^;)



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